コロナとスローライフと仏教 /コラム「医療と仏教」
村岡 潔 先生
はじめに~コロナ禍と数字
ちまたでいうコロナ禍とは、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)のパンデミックがもたらす様々な結果や災いを指します。2020年9月末日には、コロナによる全世界の死者がついに100万人をこえたという報道がありました。感染者数(≒患者数)は、3300万人以上といいます1)。コロナは、20世紀初頭の第一次世界大戦時(1914-1918)に流行したスペイン風邪とよく比較されます。スペイン風邪は今日ではインフルエンザ(H1N1亜型)と知られています。全世界の死者は、諸説ありますが、およそ2000万~4000万人です。日本でもスペイン風邪は、1918年から1921年まで流行が続きました。その死者は20万~40万人で、患者数は2400万人弱でした2)。その後、1957年にはアジア風邪[H2N2型]の流行で死亡者200万人(死亡率0.5%)、1968年には香港風邪[H3N3型]で死亡者100万人(死亡率0.5%)でした。ちなみに、季節性インフルエンザでは日本で1万人前後が死亡(致死率0.05%)です3)。ちなみにスペイン風邪で死者が多かった理由には、医療過誤も加わった恐れもあります。米国では、当時、最新の薬だったアスピリンの過剰投与の結果の肺水腫によって死亡率が上昇したという医原性説4)です。
このように統計的な比較で、新型コロナウイルス感染症の実際をこうしたウイルス疾患の歴史的配置(コンステレーション)の中に位置づけて認識し、相対化しておくことは、むやみな恐怖感を煽らないためにも役立つでしょう。恐怖感の多くは、新型コロナが医学的位置付けや文化社会的にもえたいがしれない存在だからでしょう。たんに重症化して死亡する恐れだけなら、日本では、年間、交通事故死は約3500人、がん死亡者は約34万人、自殺者数は約2万人(うつ病者の約3%)、東日本大震災の死者・行方不明者は約2万2000人5)以上ですから、こちらの方が怖いはずです。
もう一つ、よくも悪くも、政府や都道府県のマスメディアの連日の様々な報道とそれに人々が同調することで過剰の恐怖感(文化社会的パンデミック)が醸成されたきらいもあります。コロナの感染予防のためのライフスタイルの変化は、これまでのところ、2020年の季節性インフルエンザの流行の大幅な低下6)にも寄与しているように思われます。もし、交通事故死や自殺のリスクに対しても毎日、同様の注意を促し恐怖をあおるキャンペーンがなされたとしたら、同様の成果をあげるかもしれませんね。
しかし、人間の死は、数字に代えがたいものです。コロナであっても、事故死であっても、一人一人のどのような死も、憂いや悲しみにほかならず、本人や家族にとっては大変な出来事であることは否定できません。
コロナ禍を転じて福へ!?
しかし、文化や社会へのパンデミックの影響を考えるとコロナの流行は、スペイン風邪よりもむしろ、14世紀~17世紀のヨーロッパで
一方、周知のように、今回のコロナ流行の中で、手洗いの励行、マスクを着け「三密」を避けること、通勤・通学の規模を減らすステイ・ホームやテレワークの拡大、宅配サービスの増加など、経済や社会で新たなライフスタイルが始まり、私たちの生活を一変させつつあります。学校・会社・役所・学会などのオンライン授業や会議、商店のオンライン販売、病院のオンライン対応も行われています。私は、インターネットが普及した21世紀の文化社会的環境は早期からこうあるべきと考えてきましたが、日本では、旧態依然、過疎化がすすみ、東京など大都市への一極集中が続くなど時代に逆行することが続いてきました。こうしたライフスタイルの変化は、コロナの副産物といえましょう。ペストほどではないとしても、筆者は、このコロナ禍が災い転じて福となすといったような文化社会的変革をもたらしてくれることを期待しています。
友人の法学者・生命倫理学者の粟屋剛氏は、論考「新型コロナウイルスによる我々の現代文明への宣戦布告は、それを見直す絶好のチャンスだ」9)の中で、「新型コロナウイルスは、…発想を変えるならば、我々に結果的に人間のエゴをベースとしたグランドビジョンなき現代文明の見直し―その方向性も含めて―の絶好のチャンスを与えてくれている」と指摘しています。私もほぼ同感です。彼はそこから、さらに縮小社会への提案に論を進めていきます。
すなわち「自然や動植物からの収奪を続けてきた文明やグローバル経済がコロナを引き起こした」のだから、その見直しが必要だというわけです。世界中の都市で「コロナ対策としてのロックダウンや外出自粛などが行なわれた結果、車などの交通量が減り、街が静かになるとともに排ガスが減り、空気と空がきれいになりました。駅や空港も混雑がなくなり、快適になりました。このようにコロナ禍によって自然とスローライフが広まり人々の人生観や価値観が変わってきている」と評価しています。このように粟屋氏は、欲望充足システムとしての文明を、足るを知る「縮小社会」10)に変えていくことを提唱しているわけです。
コロナ禍に足るを知る~スローライフと仏教
奈倉師は、心身のケアを目指す現代の心身医学に相当するものとして「
①
②
③
④
⑤
仏教では、この五つのアプローチに観るように、食事のバランスや住居の清潔さ等、生活の物質的側面にも目配りしつつ、同じく、生活態度や心の持ち方など、精神的要素も重要視しています。これらのアプローチは、実は、縮小社会やスローライフの「足るを知る生き方」に相通ずるところが大なのです。実際、現代社会の私たちは欲望の追究にとってスピード感や時間短縮や即席信仰に価値があると思っています。しかし、その結果、かえって直截で単純なスローライフや前方便的な生き方をむずかしくしています。
例えば、エコロジーの考え方に時短とは別の平均社会速度 average social speeds12)という尺度があります。速度は(距離÷時間)ですから、自転車より自動車の方が圧倒的に速いと信じています。しかし、自動車に乗る場合、私たちが忘れているのは、自転車と違って自動車の場合は、車の代金も高いし、その上車庫や駐車場の代金もガソリン代もかかります。これらを稼ぐために、自転車生活より、余計に労働しなくてはなりません。平均社会速度では、その労働時間を分母に加えて速度を計算しますので、その結果、到達距離が同じなら、自転車も自動車もほぼ同じスピードということになってしまいます。またそのための労働の結果、身体には病気や怪我のリスクやストレスがかかってくるというわけです。また、デンマークでは、マイカーではなく自転車通勤の政策を推し進め、多くの通勤者に自転車が持ち込めるスペースを通勤電車内に設けたのです。その結果、電車通勤者が増え、車の交通量も排気ガスも激減しただけでなく、自転車通勤者(自宅から会社まで)の体力もつき健康度が増し、医療費も減少したといいます13)。
以上、コロナ禍が、物欲的執着を排した「足るを知るスローライフ」なる仏道へと誘う契機となりうる点を主に指摘しました。このように仏教が医学的要素に満ちていることは意外と知られていません。柄谷行人先生は「仏教が実証主義であり、生理学であり、衛生学であることをみぬいていたのは、たとえば西洋人のニーチェであった」とし、日本的尺度を越えてインド=ヨーロッパ的視点から仏教を見ることを勧めています14)。ちなみに川田洋一氏の仏教医学では、コロナもインフルエンザも原因は「鬼神の便り(外病の因縁)」となります。「鬼」を現代医学でいうと、細菌やウイルスなどの病原体や、身体の内外からの種々のストレッサーや精神的ストレスに相当するものなのです15)。
1 朝日新聞、2020年9月30日版
2 池田一雄、他「日本におけるスペインかぜの精密分析」東京健安研セ年報 Ann. Rep. Tokyo Metr. Inst. P. H., 56, 369-374頁,2005年
3 毎日新聞、2009年4月30日版
4 谷田憲俊、浜六郎「新型インフルエンザ特措法は再び社会を混乱に陥れる」TIP 誌『正しい治療と薬の情報』2012年3月号、1-12頁
5 https://weathernews.jp/s/topics/202004/200175/(アクセス:2020年9月16日)
6 日本經濟新聞「インフル患者、例年より大幅減 コロナ対策が影響か」
2020/9/16 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63885990V10C20A9CC1000/(アクセス:2020年9月17日)
7 立川昭二『病気の社会史~文明さぐる病因』岩波現代文庫、2007年、85-88頁
8 立川昭二、前掲書4)、64-66、94-98頁
9 粟屋剛「新型コロナウイルスによる我々の現代文明への宣戦布告はそれを見直す絶好のチャンスだ」パーソナル.コミュニケーション、2020年7月27日
10 縮小社会研究会HP:http://shukusho.org/(アクセス:2020年7月27日)
11 奈倉道隆『仏教と生活の医学』佛教大学通信教育部、1987年、128-155頁
12 John Whitelegg: “Critical Mass ~Transport, Environment andSociety in the Twenty-first Century,” Pluto Press, ondon, 1997,pp. 30-38.
13 未来世紀ジパング「幸福の国の現実②北欧の国デンマーク」テレビ大阪(2015年6月1日放映)
14 柄谷行人「仏教について―武田泰淳」、『差異としての場所』講談社学術文庫、1996年、200-218頁
15 川田洋一『仏法と医学』第三文明社、1975年、40-47頁