闡提の時代にこそ求められる仏教/つながる医療と仏教

闡提の時代にこそ求められる仏教

月江つきえ 教昭のりあき 那珂川病院 緩和ケア部長

 現在社会は、仏教に興味関心がない、即ち闡提せんだいの時代であるといえよう。
 闡提とは、仏教をそしり、成仏できない者のこと。いま、多くの人々は目先の享楽や実体のあるものへ興味関心を示すが、答えのない問いである、生まれてきた意味、生きている意味、死んでいくことの意味を考えることから目を背けて生きている。個人が住みたいところに住むライフスタイルが定着し、過疎化・都市化が一層進んだことで、30年ほど前まではイエの宗教として機能していた伝統仏教とその維持システムは崩壊の一途をたどっている。しかしながら、高額な寄付金を要求する宗教や反社会的行動をとるような宗教が残存している現実をみれば、宗教がこの世からなくなることは決してない。
 なぜなら、人は死ぬからであり、実存の消滅という恐怖が湧いてくるからである。自身や大切な人の死の危機に瀕したときに、はじめて宗教や宗教的なものを求めるようになる。そのような光景は緩和ケア病棟ではしばしばお目にかかる。 生老病死しょうろうびょうしのクライシスは医療の現場で起こる。四門出遊しもんしゅつゆうからはじまった仏教が、生老病死の苦がうごめく医療現場で「仏教って何してくれるの? 死んでからしか登場しないんだ?」といわれては悔しい限りである。そのような中で、医療現場で活躍してくれる僧侶(臨床宗教師)の存在はありがたい限りだが、その職種が診療報酬に反映されるとも思えない現実の前に、これ以上の広がりも期待できない。
 ではやはり、既存の寺院という伝統的システムを利用して、個の時代にある現代的な苦の情勢に対応していくには、イエのつながりではなく、個のつながりを増やしていくしかないのであろう。
 例えば、自治会や子ども会、小学校校区やPTAなど、さまざまな場面でお寺を活用してもらうことは一つの方法である。また、昔から行われていたお祭りや楽しい行事をして仏教や寺院に個人が親和性を持ってもらい、敷居の高さを感じさせないような取り組みも重要になってくる。医療現場で行われているグリーフケア(死別の悲しみを癒すこと)などの場として寺院を利用するのも大切であろう。
 難治なんち三病さんびょう五逆ごぎゃく謗法ほうぼう闡提せんだい)である現代人に、僧侶として救済の場を提供したいと思うのであれば、今一度、三願転入さんがんてんにゅうの教学は大切にしたい。お寺という場所を、いきなり第18願の教化の場と位置づけるより、調機誘引(ちょうきゆういん)の場と考えるのも必要ではなかろうか。原理主義に走らず、柔軟心(にゅうなんしんをもって闡提の時代を過ごしたいなと医師・僧侶として思う日々だ。

大乗2025年8月号掲載