いのちとくらしの豊かな調和/つながる医療と仏教

いのちとくらしの豊かな調和

佐々木ささき 惠雲えうん 藍野大学 学長

 私が勤務する大学では2035年に向けた長期方針として、「人がその生涯を通じて尊厳を保ち、健康に生きることができる社会の実現を目指す」を掲げています。このためにはまず生きることを「生命」「生活」、そして「人生」という3つの側面から捉えることが有用かつ重要だと思います。
 私事ですが、今年の6月に母が往生しました。進行性の胆のうがんを患い、緩和ケア病棟で家族に見守られ、穏やかに息を引き取りました。母は緩和ケア病棟に移ってから、自由な生活を取り戻し、親しかったボランティアや友人と心置きなく会うこともでき、最後まで充実した人生を送ってくれたと感じています。そこで改めて痛感したことは、救急患者のように必死に救うべき「いのち」もあれば、母のように静かに見守るべき「いのち」もあるということでした。前者は「生命」を維持することが中心となりますが、後者は「生活」を営むこと、「人生」を歩むことに重きを置くべきでしょう。「生命、生活、人生、そのすべてが豊かに調和した状態」の実現が今求められています。
 次に人が充実した人生を送るためには、生のみならず死を考えること、すなわち死生観を持つことが大切だと考えます。死生観は各方面で注目されていますが、系統的に理解されているとは言い難い状況ではないでしょうか。そこで私は人称別の死という視点を用いて、死生観を自分自身の死や死後について考える一人称的死生観と、愛する人の死や死後について考える二人称的死生観の2つに分けることを提唱しています。
 一人称の死は、誰一人として経験することはできませんが、すべての人に必ず訪れる超経験的な事実であり、そのため一人称的死生観には宗教的知見が必要です。
 次に二人称的死生観とは、亡くなった愛する人を想い、哀しみ、悼む心であり、また故人と残された人との関わりを考えることです。私は二人称の死に遭遇した時、残された人が故人の死を受け入れつつ、一方では故人との関係性を求める一連のプロセスを「関係性の死」とよび、二人称的死生観の基盤をなすと考えています。特に災害や事故、事件、病気により極めて短い経過で愛する人を亡くした場合、故人を求める残された人の苦しみは大きく、グリーフケアが必要となります。愛する人を失う苦しみは誰も避けることができないからこそ、二人称的死生観の認知と理解が深まることが強く望まれています。 (おわり)

大乗2025年12月号掲載