のこされた思いに導かれて/つながる医療と仏教

のこされた思いに導かれて

栗田くりた 正弘まさひろ 内田医院 医師

 私は宮崎県にあるお寺の住職を務めながら、内科の医者として近くの医院にも勤めています。
 医者になって40年、これまでたくさんの方を看取ってきました。その中で気づかされたことは、「医者として患者さんに一方的に医療を提供していると思っていた自分が、実は逆に患者さんからいろいろなことを教えられてきた」という事実でした。往生される方は、必ず私たちに何かを残していかれます。それは言葉だったり、笑顔だったり、涙だったりするのですが、その中にある〝終わりゆくいのちの意味・尊さ・重み〟を深く知らされます。
 そうした日常のなかで、前門さまがご著書『愚の力』の中でお示しくださった次のお言葉を依りどころとして診療にあたっております。
 「阿弥陀如来の慈悲に救われると知ったものが、自分の不完全さから目をそらさずに、自らできることをする。私の行為が慈悲なのではなくて、阿弥陀仏の慈悲の中で、今何ができるかということです」
 私の祖母は篤信の人で、朝から晩まで、食事の時も風呂の中でも床についてもお念仏が口からこぼれ出ていました。98歳を過ぎて肺炎を患い、私が主治医として自宅で看取りました。往生の後、枕元に一冊のノートが残されており、こう記されていました。
 「大事にして下さった嬉しさをお浄土まで持っていきます」
 「いざさらば 死ぬんじゃないの 生まるるの み親の待ってる お浄土へ」
 「極楽に 長居はせぬぞ かえり来て 迷える友の道案内する」
 祖母は、阿弥陀さまの往相おうそう還相回向げんそうえこうんだ歌を、私たちに数多くのこしてくれました。
 また、82歳で間質性肺炎を患った父も、自宅で私が治療しましたが、無念にもやすことができず看取りました。父は臨終で、取り囲む私たち家族やご門徒に、
 「両親や兄姉が先に行ったお浄土にわしもかえらせてもらいます」
 「お浄土でまた会いましょう」
という言葉を遺してくれました。
 家族や患者さんたちが残してくださったその思いに導かれながら、私は今日も法務と診療に携わらせていただいております。

大乗2026年2月号掲載