新型コロナで不安です 田畑先生はなぜ穏やかに?/お悩みQ&A

新型コロナで不安です 田畑先生はなぜ穏やかに?

新型コロナウイルスの情報を聞くと、その対応や将来の見通しに不安を覚えます。浄土真宗の信仰をお持ちの田畑先生は、なぜ普段通り、穏やかで平静な姿勢で診療を続けることができるのでしょうか。先生の信仰している仏教、浄土真宗についてお聞かせください。

(73歳医師)

二の矢を受けない浄土真宗の信仰を

田畑正久〔佐藤第二病院(大分県宇佐市)院長 外科・緩和ケア・老人科〕

 仏教は「二の矢を受けない」といいます。「一の矢(病気の発症)」は誰も避けることはできませんが、「二の矢(事実から波紋のように広がる苦しみ)」は防ぐことができます。
 自分が患者となった時を想像してみてください。病気によっては、「死ぬかも知れない」と悩み、不安になります。病気の苦しみと、それにとらわれる悩みや不安により、二重苦を受けるのです。
 確認しておきたいのですが、仏教は、まじないのように医学・医療と競合して病気を治療するのではありません。病気に関しては医療者に「おまかせ」です。そうすれば、ストレスが最小限となり、アドレナリンなどの分泌も少なく、自分が持つ免疫力が十二分に発揮もされるでしょう。
 仏教、浄土真宗は病気から救うのではなく、病人の根本的な救いを説きます。仏教の救いは世間的な救い(経済的、医学的など)とは質が異なります。事実をあるがままに受け取り、与えられた状況を「これが私の引き受けるべき現実、南無阿弥陀仏」と、阿弥陀如来に全てお任せし、今日を精いっぱい未練なく生き抜く(場合によれば、死ぬ)のです。
 私は、朝、目が覚めた時、「今日のいのちをいただいた、南無阿弥陀仏」で始め、夜は「今日、私なりに精いっぱい生きさせていただきました、南無阿弥陀仏」と休みます。
 そして夜、寝る時には、「これで死ぬんだ、南無阿弥陀仏」と死ぬ練習をします。人間として生まれたということは死は必然です。死ぬのが当たり前のところを、今、今日を生かされている、「有ること難し」なのです。

 (宇佐市・圓徳寺門徒)

『本願寺新報』2020年5月10日号掲載